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初めて出た殺気漲る現場に、カルチャーショックを受けました。

御田町 桃の木 小林武志

 愛知県岡崎市に生まれ育った小林武志に、料理人になるきっかけを与えたのは母親の存在のようだ。
「小学生の頃から食事の準備を手伝わされました。野菜の皮をむくとか、何㏄のお酒を量るとか。また、母がお茶を嗜んでいた関係で、よく瀬戸の窯元に連れて行かれました。作家さんが売り物にならない器を個人に分けてくださるんです。あと、母は庭いじりが好きで、春や夏になると株を分けたり、大きな鉢に移したりする作業を手伝わされました。全部、『やらされた』ことばかりですが、けっこうおもしろかった。それで、高校で進路を決める時、国立大学に進学させたいという親父に対する反発もあって、『僕は調理師になる!』と。今にして思えば、台所や器、花に馴染んだ幼児体験が料理に繋がったのかもしれません」
 小林が学んだのは大阪の辻調理師専門学校。「とにかく愛知を、家を出たい」一心だったという。そして、いろんな料理を学ぶ中で中国料理に決めた。「田舎の町の中華屋さんで海老チリとか青椒肉絲しか食べたことがなくて、他のいろんな中華料理がものすごく新鮮だったし、食べておいしかった」からだ。
「就職先を探していた時、ちょうど翌年に銀座に出店する香港の福臨門に決まったんですが、別の人が行くことになって。それで先生に『ごめん、小林君。今からじゃ職場もないから、職員にでもなる?』と言われて。かわいそうでしょ、小林君」
 職員として働くこと8年、小林は暇を見つけては東京に食べ歩きに出かけた。中でも足繁く通ったのが吉祥寺の竹爐山房だ。
(上)コウバコ蟹のスープ
上海蟹が終わる12月から登場するのがコウバコ蟹。春先の桜海老、蛤とともに塩味のスープで煮込んでいる。甲殻類のうまみと蛤の淡い味わいが溶け込むこの品は、スープとして楽しみながら、蟹をバリバリ噛み砕いてワイルドに食す。

(下)帆立と百合根の湯びき
河岸で買う時にむいて落とした帆立は身がいかり、つまり死後硬直してガチガチの状態。出す寸前に縦に切り、うまみと歯ごたえを残して仕上げる。約75度の湯でゆっくり茹でた帆立の底からのぞく半透明の肉質が百合根の白、A菜の緑とともに淡く美しい色彩を成す。
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