
そんな鯰江が最初に勤めた店は、100人の宴会をやるような昔ながらの大きな中華料理店。そこでの修業時代、彼はふと疑問を抱いた。「一気に10皿もの料理をドカンと出されても、おいしく食べられないんじゃないかな。中には、細工がきれいなだけで、おいしくないものもあるよなぁ。おいしいものだけを、一人ひとりに分けて出してあげたほうが食べやすいのに」と。
その後、幾つかの店を渡り歩き、15年ほど前に辿り着いたのが、カウンタースタイルとオープンキッチンで話題になった文琳である。料理長として活躍したこの店では、客との距離が縮まり、「お客様と話をしたり、料理を召し上がる様子を観察したりする中で、いろんな勉強をさせてもらえた」という。
そういった経験の中で積み上げた学びや、新しいスタイルの中華料理店への思いを結実させたのが今の店なのである。
「僕はほとんどレシピを持たないんです。基本は頭に入っていて、使う食材や気候、お客様の様子などを見て、その日にベストな匙加減をしています。創作はあまりやりませんね。基本があっての料理だから。もちろん、冒険はします。お客様と話をしたり、いろんな人と和・洋・中のいろんな店にご飯を食べに行ったりする中で、新しい食材や調理法、盛り付けなどのヒントをいただいて。その意味では、レシピを集めるよりも、多くの人と交流して人間の幅を広げることのほうが、料理人としては大事だと思いますね」
「最近は和食の季節感にインスパイアされることが多い」という鯰江は、“異質"を積極的に取り入れながらも、「これぞ中華」の王道を行く。いつフランスに打って出るのか、今後に注目したい。
その後、幾つかの店を渡り歩き、15年ほど前に辿り着いたのが、カウンタースタイルとオープンキッチンで話題になった文琳である。料理長として活躍したこの店では、客との距離が縮まり、「お客様と話をしたり、料理を召し上がる様子を観察したりする中で、いろんな勉強をさせてもらえた」という。
そういった経験の中で積み上げた学びや、新しいスタイルの中華料理店への思いを結実させたのが今の店なのである。
「僕はほとんどレシピを持たないんです。基本は頭に入っていて、使う食材や気候、お客様の様子などを見て、その日にベストな匙加減をしています。創作はあまりやりませんね。基本があっての料理だから。もちろん、冒険はします。お客様と話をしたり、いろんな人と和・洋・中のいろんな店にご飯を食べに行ったりする中で、新しい食材や調理法、盛り付けなどのヒントをいただいて。その意味では、レシピを集めるよりも、多くの人と交流して人間の幅を広げることのほうが、料理人としては大事だと思いますね」
「最近は和食の季節感にインスパイアされることが多い」という鯰江は、“異質"を積極的に取り入れながらも、「これぞ中華」の王道を行く。いつフランスに打って出るのか、今後に注目したい。