
樋口の初任給は、手取り4万5千円。20年前であること、3食付きの寮暮らしであることを割り引いて考えても、かなりキツイ。休みの日に旅館やホテルの手伝いに出てもらえる1回1万5千円の“臨時収入"が頼みだった。「東京に生まれ育って、友達もいっぱいいるのに遊べない」日々だったのだ。
その後、樋口は赤坂の店を飛び出した。この時、親父さんは「ワシが生きている間は、いつでも面倒をみてやる」と言ってくれたそうだ。
「辞めたはいいけど、行き先がない。困っていた時に京都の器屋さんに紹介してもらったのが穂積でした。初めてカウンターの店で仕事をして、『これだっ!』と思いました。飾り気のないスカッとしたおいしい料理を、お客様の様子を見ながら柔軟にお出ししていけるのが魅力で。それまで商売する気もなく、いつのまにか30を過ぎ『このまま職人でいくのか、オレ』って感じでしたが、やっと腹が据わりましたね」
穂積で5年半勤め、34歳で独立。開店当初は客が少なく、近くで店を営んでいた穂積の親方が「大丈夫か?」と心配し、店を手伝ってくれたり、食材を分けてくれたりした。「その方はもう店を持っていませんが、未だにうちのおせちの手伝いに来てくださる。30日にふらりと現われ、盛り終わったら風のように消えていく」のだという。
「僕はその親方の仕事を見て、料理とは何かを学びました。質実剛健というか、お客様のことを考えて、本当においしい料理だけを出す姿勢に、胸を打たれたんです」――カウンターに立つ樋口の後ろには、気っ風のいい腕利きの料理人たちの姿が見える。そんな気がした。
その後、樋口は赤坂の店を飛び出した。この時、親父さんは「ワシが生きている間は、いつでも面倒をみてやる」と言ってくれたそうだ。
「辞めたはいいけど、行き先がない。困っていた時に京都の器屋さんに紹介してもらったのが穂積でした。初めてカウンターの店で仕事をして、『これだっ!』と思いました。飾り気のないスカッとしたおいしい料理を、お客様の様子を見ながら柔軟にお出ししていけるのが魅力で。それまで商売する気もなく、いつのまにか30を過ぎ『このまま職人でいくのか、オレ』って感じでしたが、やっと腹が据わりましたね」
穂積で5年半勤め、34歳で独立。開店当初は客が少なく、近くで店を営んでいた穂積の親方が「大丈夫か?」と心配し、店を手伝ってくれたり、食材を分けてくれたりした。「その方はもう店を持っていませんが、未だにうちのおせちの手伝いに来てくださる。30日にふらりと現われ、盛り終わったら風のように消えていく」のだという。
「僕はその親方の仕事を見て、料理とは何かを学びました。質実剛健というか、お客様のことを考えて、本当においしい料理だけを出す姿勢に、胸を打たれたんです」――カウンターに立つ樋口の後ろには、気っ風のいい腕利きの料理人たちの姿が見える。そんな気がした。