
大正14(1925)年、昭和天皇が東宮であった時代に宿泊された御座所。この椅子に座って庭園を眺められた。
庭園には、全国の銘石珍石が並ぶ。あちこちに配された石灯籠は、小豆島の御影石によるもの。さらに佐渡の赤玉石、伊予の青石、鞍馬石などの色石がアクセントのように据えられている。これらの石は、光道の所有する北前船が綿積石(海神石)として運んだものだ。そして庭を彩るのは、本間家の家訓でもある「質素・倹約」をイメージした白花が多い。ツツジ、睡蓮や百日紅などの花々の白と、新緑とのコントラストは清々しくも美しい。これからの季節は、酒田市の花でもあるトビシマカンゾウも色を加える。
本館「清遠閣」は、領内を巡視する藩主酒井侯をもてなすために建造された、いわば「酒田の迎賓館」。大正14(1925)年には、当時皇太子だった昭和天皇が宿泊され、2階部分が増築された。今でも、1階に併設された喫茶室で、昭和天皇の従者たちが使った椅子やテーブルが現役で活躍している。
屋敷の随所にはきめ細かな細工が施され、芸術品の中に足を踏み入れているかのようだ。欅造りの階段を上ると、梅の透かし彫り欄間がさりげなく頭上を飾る。欄間の桟は部屋ごとに異なり、中でも機織りのおさの形をした筬欄間は、その繊細さに驚くほど。窓の手摺りに目を向ければ、北山杉で造られた継ぎ目のない一本通しのもの。一方、手漉きのガラス窓や貝細工のランプなど、大正期のモダンを感じさせる意匠もある。その細工一つひとつから、本間家の資力と、芸術への造詣の深さが感じられる。
本館「清遠閣」は、領内を巡視する藩主酒井侯をもてなすために建造された、いわば「酒田の迎賓館」。大正14(1925)年には、当時皇太子だった昭和天皇が宿泊され、2階部分が増築された。今でも、1階に併設された喫茶室で、昭和天皇の従者たちが使った椅子やテーブルが現役で活躍している。
屋敷の随所にはきめ細かな細工が施され、芸術品の中に足を踏み入れているかのようだ。欅造りの階段を上ると、梅の透かし彫り欄間がさりげなく頭上を飾る。欄間の桟は部屋ごとに異なり、中でも機織りのおさの形をした筬欄間は、その繊細さに驚くほど。窓の手摺りに目を向ければ、北山杉で造られた継ぎ目のない一本通しのもの。一方、手漉きのガラス窓や貝細工のランプなど、大正期のモダンを感じさせる意匠もある。その細工一つひとつから、本間家の資力と、芸術への造詣の深さが感じられる。