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(左)昭和の初めに建てられた洋風建築「旧割烹小幡」。映画「おくりびと」の撮影に使われたことで一躍有名になり、今では劇中の「NKエージェント」の名でも知られる。
(右上)日和山公園内に立つ白い木造六角灯台は、明治28(1895)年に造られた、現存する日本最古の木造灯台。見下ろす酒田湊は江戸時代、漁業よりも回船業で栄えた。
(右下)庄内米を酒田湊から江戸に運ぶために活躍した北前船を実物の二分の一に縮尺して再現したもの。日和山公園の修景池に白い帆を張り浮かんでいる。
Long Love with Sakata
受け継がれてきた「粋」
Photo Masahiro Goda Text Ayuko Miura
山形県酒田市。江戸時代、北前船の起点となったことで栄華を極めたこの町には、文明開化の香り漂うモダン建築が多数残る。殿様をも凌ぐといわれた豪商たちの、財と文化の結晶だ。酒田の歴史と繁栄を振り返りながら街歩きを楽しめば、今も通りのそこかしこに、時代の「粋」が顔を出す。
「粋」という言葉がよく似合う街である。
 山形県酒田市。東北の港町というイメージを感じさせない、雅な雰囲気の漂う街だ。その風情の源を探るように、市内を歩いた。
 酒田がその栄華を極めたのは、江戸時代のこと。米をはじめとする庄内平野の農作物は、最上川を水路として輸送されていた。最上川の河口に位置する酒田は、つまり、東北の豊かな実りが結集する恵まれた条件にあった。
 さらに寛文12(1672)年、河村瑞賢が西回り航路を整備すると、酒田は一躍、川船と海船で賑わう東北の表玄関となり、以降、飛躍的な発展を遂げることになったのだ。
 そして海運業の発展は、殿様をも凌ぐといわれる、多数の豪商を生み出す。本間家、鐙屋家、加賀屋家に代表されるこうした豪商は、「三十六人衆」と呼ばれ、多くは回船問屋といった商人たちだ。だが、商売だけでなく政治上の権力をも持ち、酒田の文化発展にまでも大きく貢献した
とされる。
 そんなバックグラウンドに思いを馳せながら歩を進めれば、街のそこかしこに、往時の繁栄の名残が感じられる。時代が明治・大正と移り変わっても、ここ酒田の町には豪商たちの財力によって“上質な文明開化"がもたらされていた。それは、当時の「粋」が集められたモダン建築の数々だ。
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