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(左)山縣有朋が“原風景”の自然を愛でるために作庭した椿山荘。その庭を引き継いだ、藤田平太郎はかなりの目利きであったようで、室町時代の三重塔をはじめ、戦国時代の武将で茶人でもあった織田有楽(織田信長の弟)ゆかりの層塔など文化財の数々が庭のあちこちに配されている。この伊藤若冲の羅漢石もその一つで、若草の間からひょっこり顔を出している。この庭には、日本庭園を飾るべき副飾物がすべて揃っているとまで言われている。
(右)44種もの花木がある椿山荘の庭園の中でも、最も古いとされる御神木。樹高約20メートル、樹齢約500年と言われる御神木には、つい手を合わせるという人も多い。
CHINZAN-SO
緑と、水と。夏の庭遊び。
Photo Satoru Seki Text Michiyo Tsubota
2万坪もの起伏豊かな地形をありのまま生かし、巧みに造られた名園、椿山荘。
都心にありながら、ここには避暑地のようなやすらぎの時間が待ち受けている。
庭園へ足を踏み入れると、生き生きとした緑が周囲に広がり、植物が醸す爽やかな息吹に包まれる。武蔵野の面影を今に残す、こんもりとした樹木。秩父山系に降った雨水が100年以上も地下水脈を旅して湧き出す井戸や、初夏にはほたるが舞い飛ぶ小川。ここが都心の真ん中とは思えないほど、野趣に富んだ、しかし、丹念に手入れを施した美しい庭が広がっている。
 武蔵野台地の辺縁部に位置し、神田川に面している椿山荘。ここは古くから椿が自生する景勝地として知られ、「つばきやま」と言われていた。また、小高い丘のすぐ下に谷があるという地形となっており、この高低差を生かして、自然の景観をそのまま利用して造った庭が椿山荘である。
 かつて、この眺めに、故郷の自然風景を重ねて見たのが、明治の元勲山縣有朋公爵だ。山縣公爵は、明治11年、私財を投じてこの目白の台地を買い求め、思い出の“原風景"を再現するため築庭に力を注いだ。庭を椿山荘と名付け、自然を愛でるのに最もよい場所に私邸を構えたという。その後、名園をありのままに保存することを条件に、藤田平太郎男爵が、山縣公爵からこの椿山荘を譲り受ける。藤田男爵は、三重塔をはじめ数々の文化財を随所に配し、その風情を一段と高めてゆく。さらに戦後、藤田観光創業者の小川栄一氏が、戦火で荒んだ名園を、5年ほどの月日をかけて美しく甦らせ、現在の椿山荘まで続いてきた。
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