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昔から最高品質のトキヤ草を産しているモンテクリスティの中でも“最上”を使用し、熟練した職人が4 ~ 6カ月かけて編み上げたパナマモンテクリスティ エクストラ ファイン。伝統的な技を持つ職人が草の採取から、洗い、乾燥、色合わせ、編み上げまでを一貫して行う。そのため、繊細で柔らか、絶秒な美しい風合いに仕上がる。300,000円。
ボルサリーノは
本物の大人の証しとして
男がかぶる王冠である。
Photo Takehiro Hiramatsu(digni)
Text Shuhei Toyama
社会から憧憬を受ける多くの著名人やアーティストが愛したボルサリーノの歴史は、1857年イタリアの北西部にあるアレッサンドリアで始まる。この地方出身で、パリ帰りのジュゼッペ・ボルサリーノが、先鋭の職人を6人集めて帽子工場を設立したのだ。
 19世紀の中盤は、近代メンズモードに服装の革命が始まろうとしていた。
 産業革命の発展に伴い、世の中を動かすリーダーは貴族から富裕な市民へ移行。服装も燕尾(えんび)服やフロックコートから、現代のスーツの原形であるラウンジスーツが誕生した時代。こうしたパラダイムシフトを察知したボルサリーノは堅く重たいシルクハットやボーラー(山高帽)に代えて、最新のサックスーツにマッチするセミハードで軽いセンタークリース入りのロッビア(元祖ホンブルグ)を製作した。
 その後も数々の傑作を世に送り出したボルサリーノは、当時のファッションリーダーであった芸術家や新進企業のオーナーからの絶大な支持を受けたのである。
 1900年のパリ万博ではグランプリを受賞。工場の雇用も1000人を超え、インターナショナルブランドへと成長していく。しかしボルサリーノは効率より伝統的な製法や道具を重んじ、さらにイタリア独特の世襲的製造システムにより優秀な職人を育成。設立当初の高品質を保持する。その企業哲学は、重さ50グラムという画期的なソフトフェルトハットを開発した今日にも継承されているのである。
 初夏のロンドンには世界中から大金持ちが集まる。ロイヤルアスコットや全英オープンなどを見るためだ。アスコット競馬場にはグレーのトッパーが、そしてウィンブルドンやクリケットの観戦場には白いパナマハットの花が咲く。それは同じ帽子をかぶり贅沢な時間を共有する、装いの文化ともいえる夏の風物詩になっている。
 パナマハットの歴史は古く、20世紀初頭には西欧の避暑地で上流階級の人々が愛用していた。きっかけは当時建設が始まったパナマ運河である。ここで働く労働者がヤシ科の草で編んだ帽子をかぶっていた。それが涼しく快適であったために西欧へ伝わり、飛行家のサントス・デュモンやチャーチルなども常用した。パナマハットの由来は、運河の完成を祝いに当地を訪問したルーズベルトがこの帽子をかぶったからだといわれている。
 パナマハットの原材料はエクアドル原産のトキヤ草の茎。最上のモノは海岸線にあるモンテクリスティと呼ばれる地域で採れる。おそらく潮風に含まれる湿度などが作用して、しなやかでつやのある草が育つのであろう。 
 ボルサリーノのパナマハットは繊維の色、細かさや弾力によって等級をつけ、最上のものをモンテクリスティと呼んでいる。このクラスになると、人間国宝級の職人がトキヤ草を繊維状に加工することから始め、原形となる帽体を編み上げるまでに4 ~ 6カ月かかるという。その希少価値は年々高まっている。
 このように製造されたボルサリーノのパナマハットには、気品が自然と醸し出される。それをかぶる父親に息子が憧れ、彼が成長し大人になった証しとしてボルサリーノを購入、さらにはその孫が、という具合に受け継がれていくのも珍しいことではない。
 クリケットの試合では、3人の打者を連続3球でアウトにするのは奇跡で、それを達成した選手には、ハットトリックと称して、クラブから帽子が贈呈される。ここでは帽子が偉業をたたえる冠の役割を果たしているのである。
 ボルサリーノとは、本物の大人の証しとして、男がかぶる王冠なのであろう。

●ボルサリーノ ジャパン TEL03-3230-1030 www.borsalino.jp
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