大河ドラマで注目を集めた「篤姫」の養父でもある斉彬は、1809(文化6)年に10代藩主・斉興の嫡子として生まれ、41歳から病に倒れるまでの約7年間、藩主を務めた人物だ。幼いころから聡明で、“ 蘭癖"と呼ばれた曽祖父・重豪に目をかけられたことにより、父の斉興や重臣からはむしろ敬遠されて育ったという。そのため、藩主を継ぐのは異例の遅さであったが、江戸藩邸の重豪のもと、地球儀や、ガラス器天眼鏡など西洋文物に囲まれて成長した斉彬には、短い藩主時代に歴史を動かすほどの優れた実行力と先見の明があった。江戸幕府や他藩が軍事力強化に集中するのを横目に、「国が豊かになり、人々の暮らしが満ち足りてこそ、国が一つにまとまれる」と確信し、造船、造砲、製鉄、紡績、ガラス、印刷、電信、医療などさまざまな分野の事業を興して、後の明治維新につながる新しい日本の土台を作ったのである。
海と桜島を見渡す景勝の地に立つ島津家の別邸「仙巌園」には、斉彬が建設した工場群「集成館」跡や、1923(大正12)年にオープンした博物館「尚古集成館本館」が隣接されている。2009年には集成館跡を含む仙巌園が、九州・山口の近代化産業遺産群として、世界遺産の国内暫定リストに記載された。12代藩主・島津忠義が本邸として使用したこともある磯御殿や、反射炉跡など集成館跡を散策すれば、開明君主・斉彬が率いた薩摩藩が築いた近代日本の礎と、中国や琉球の影響を受けた独自の文化を肌で感じることができる。斉彬は名君であったとともに、絵画においても抜群の才能を見せる文化人であった。食事では薩摩ならではの豚肉を好み、肉食が忌まれていた時代に、頻繁に豚肉を口にしたという。
海と桜島を見渡す景勝の地に立つ島津家の別邸「仙巌園」には、斉彬が建設した工場群「集成館」跡や、1923(大正12)年にオープンした博物館「尚古集成館本館」が隣接されている。2009年には集成館跡を含む仙巌園が、九州・山口の近代化産業遺産群として、世界遺産の国内暫定リストに記載された。12代藩主・島津忠義が本邸として使用したこともある磯御殿や、反射炉跡など集成館跡を散策すれば、開明君主・斉彬が率いた薩摩藩が築いた近代日本の礎と、中国や琉球の影響を受けた独自の文化を肌で感じることができる。斉彬は名君であったとともに、絵画においても抜群の才能を見せる文化人であった。食事では薩摩ならではの豚肉を好み、肉食が忌まれていた時代に、頻繁に豚肉を口にしたという。

仙巌園中心部にある磯御殿。敷地内から桜島を望むことができる。1884(明治17)年に大規模な改築が行われた。