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仲宗根豊見親。宮古島在来のミャーカと呼ばれる巨石墓の様式と、沖縄本島風の横穴式との折衷様式。両島の文化の交流がうかがわれる。
「うりがー」を中心に集落が発達
大きな川がなく、今も上水道の水源を主に湧水や地下水に頼っている宮古島では、とりわけ水への信仰が厚い。本格的な上下水道が建設されたのは1950年代。古くは洞窟の底にある湧水が利用されていた。その湧水が「地下深く降りて水をくむ」という意味で「うりがー(洞井)」と呼ばれる。つまり昔の宮古人たちの生活用水は“天水"と湧水のみ。集落はうりがーを中心に形成され、人々はそこに御嶽を造って、聖地として崇めたのである。
 平良近郊に無数に散在する、うりがーの中でも規模が大きいのは、東仲宗根にある「盛加井(むいかがー)」だ。地表の開口部は直径約24m、そこから103段の石段を降りた奥深い所に湧泉口がある。内部には小規模な貝塚層があり、周辺一帯からは多くの青磁片、土器片等が表面採取できることから、ここに大きな集落があったことが推察される。
 また西仲宗根の「大和井(やまとがー)」は、切石を円形に積み上げるなど、製造技術の粋が傾注されたもの。大方のうりがーが、自然のまま利用されていたことや伝承等から、首里王府が派遣した在番役人や頭などのごく一部の役人が使用したうりがーだと考えられている。
 他にも各市が史跡・有形民俗に指定する“有名どころ"は多く、無名でも花や線香が供えられた、うりがー跡らしき御嶽を町のあちこちで見かける。人々の生活に密着した“うりがー御嶽"は、今も集落の中心であり続けているようだ。
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