黄金色の贅沢に包まれて
モナコを色にたとえるなら、黄金色。それは、波打つ海に、豊かな緑に、街の白亜の建物に降り注ぐ陽光の輝きであり、眠らない街の夜を彩る星々と灯りの煌き。そして、その黄金色に引き寄せられるようにやって来る、世界のセレブリティが放つ富の発光でもある。
コート・ダジュールの一角、地中海に面したこの美しい“港町"の名は、元を辿ればギリシア神話に行き着く。「ヘラクレスがこの地を通りかかり、土地の神々を退散させた」という物語があり、それに因んで一つの宮殿が建てられたという。やがてヘラクレスを信仰する多くの隠者がここに移り住んだことから、港町は「Herculis Monaeci Portus(ヘラクレスの隠者の港)」と呼ばれ、それがいつしかギリシャ語のよく似た発音の「Menuka(宿泊港)」と混合され、今のモナコになったと伝えられている。もしかしたら、ヘラクレスが黄金色に輝くモナコの美しさに最初に魅了された男かもしれない。
海に突き出した岩山の上に開かれた街モナコ・ヴィルを、地中海の爽やかな風を受けながら散歩していると、時空を超えて普遍の美を紡ぐモナコへの愛しさが増してくるようだ。そんなモナコはどのように世界有数の高級リゾート――言い換えれば世界のセレブリティの聖地に発展していったのだろうか。
その第一の功労者は、シャルル3世である。フランス革命に巻き込まれて以来、長くフランス支配が続いていたモナコが、主権を回復したのは1861年のこと。その5年前に大公に即位したシャルル3世は、当時はまだオリーブが繁る野原だった地中海沿いの丘陵地に、高級リゾートとして発展する可能性を見出した。「モナコには何より、海と太陽の恵みがある。お隣のニースやカンヌに、欧州各地からセレブリティがやって来て、たくさんのお金を落としていくのを、指をくわえて眺めていてもしょうがない。彼らをモナコに引き寄せるにはどうすればよいか」
そこで考え出されたのが、カジノの建設だったのだ。これを起爆剤に、丘陵一帯にはホテルやヴィラ、ホールなどが次々と建てられ、この地はモンテカルロと命名された。ここにロシア貴族や英国皇太子をはじめとする貴族、大富豪が集い、常連客となり、みるみる間に上流社会の社交の場に発展していったのである。現代のモナコに繋がるその成功ぶりは「リヴィエラのシンデレラ物語」と評されている。
コート・ダジュールの一角、地中海に面したこの美しい“港町"の名は、元を辿ればギリシア神話に行き着く。「ヘラクレスがこの地を通りかかり、土地の神々を退散させた」という物語があり、それに因んで一つの宮殿が建てられたという。やがてヘラクレスを信仰する多くの隠者がここに移り住んだことから、港町は「Herculis Monaeci Portus(ヘラクレスの隠者の港)」と呼ばれ、それがいつしかギリシャ語のよく似た発音の「Menuka(宿泊港)」と混合され、今のモナコになったと伝えられている。もしかしたら、ヘラクレスが黄金色に輝くモナコの美しさに最初に魅了された男かもしれない。
海に突き出した岩山の上に開かれた街モナコ・ヴィルを、地中海の爽やかな風を受けながら散歩していると、時空を超えて普遍の美を紡ぐモナコへの愛しさが増してくるようだ。そんなモナコはどのように世界有数の高級リゾート――言い換えれば世界のセレブリティの聖地に発展していったのだろうか。
その第一の功労者は、シャルル3世である。フランス革命に巻き込まれて以来、長くフランス支配が続いていたモナコが、主権を回復したのは1861年のこと。その5年前に大公に即位したシャルル3世は、当時はまだオリーブが繁る野原だった地中海沿いの丘陵地に、高級リゾートとして発展する可能性を見出した。「モナコには何より、海と太陽の恵みがある。お隣のニースやカンヌに、欧州各地からセレブリティがやって来て、たくさんのお金を落としていくのを、指をくわえて眺めていてもしょうがない。彼らをモナコに引き寄せるにはどうすればよいか」
そこで考え出されたのが、カジノの建設だったのだ。これを起爆剤に、丘陵一帯にはホテルやヴィラ、ホールなどが次々と建てられ、この地はモンテカルロと命名された。ここにロシア貴族や英国皇太子をはじめとする貴族、大富豪が集い、常連客となり、みるみる間に上流社会の社交の場に発展していったのである。現代のモナコに繋がるその成功ぶりは「リヴィエラのシンデレラ物語」と評されている。


(上)世界に誇る美しき海には、各国からのセレブリティが豪華絢爛たるヨットとともにやって来る。
(下)モンテカルロ通りには高級ブティックが並ぶ。
(下)モンテカルロ通りには高級ブティックが並ぶ。