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アドリア海に向かってはためくのは市松模様の国章と盾をあしらったクロアチア国旗。主権国家として独立後、国旗として採用されてから約20年と日が浅いもののすでに民族の象徴となった意匠だ。
だが、第一次十字軍の組織や後の東ローマ帝国滅亡の序章となったコンスタンチノープル侵攻など、強大な軍事力を背景に都市国家という政体から覇権主義勢力へと大きな変貌を遂げてゆく。こうした時代背景にもかかわらず、ラグーサは主権を堅持し続けた。領土拡張、交易権独占を明確に否定し、城壁内(=都市国家領)の独立を保障する条件でヴェネチアへの従属を受け入れたためだ。バンドワゴン政策である。14世紀以降のヴェネチアがジェノヴァ共和国やオスマン帝国との長い戦争に突入し、栄光の歴史に影が射し始めるのとは対照的に、ラグーサの台頭が始まり長い繁栄の歴史を享受していった。周辺勢力に従属することで交易に活路を見いだし、繁栄を謳歌してきたラグーサの歴史は、ナポレオンという『近代』の権化の侵攻によって突如その幕を閉じている。以降、ハプスブルク帝国やユーゴスラビア連邦に組み込まれているが、ラグーサの文化は一体感を保ちながら今日にいたる。文化的象徴であったダルマチア語も最後の話者であったトゥオネ・ウダイナという理髪師が死亡する1898年まで話されていた言語であった。ローマ時代から形成されてきたラグーサ人としてのメンタリティ。幾世代にもわたって連綿と受け継がれてきたそれこそが、ドゥブロブニク最大の文化遺産なのかもしれない。
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