
ジャン=ピエール・フォーケード
20年間、真珠産業に従事後、HINANO THE BEER OF TAHITIへ。1992年に同社代表取締役社長に就任。
20年間、真珠産業に従事後、HINANO THE BEER OF TAHITIへ。1992年に同社代表取締役社長に就任。
タヒチ・ブランド“HINANO”
ビールからファッションへ
Jean-Pierre Fourcade
HINANO社長
ビールからファッションへ
Jean-Pierre Fourcade
HINANO社長
パレオにティアレ、タヒチアンの可愛い女の子のロゴで知られる「HINANO(ヒナノ)」。タヒチに多い女性の名前をつけたこのビールは、その姉妹ビールで軽い味わいの「TABU」とともに、タヒチにぴったりの飲物だ。
このビールの醸造所がタヒチにできたのは 1914 年、それを 1974 年にフォーケードさんの祖父が買い取った。1992 年にフォーケードさんが社長に就任。ビールのほかにも各種ジュースを製造、またコカ・コーラなどの流通も行っている。
ヒナノがビールの人気でタヒチ・ブランドとして定着したため、Tシャツや水着、帽子などの小物・ファッション関連も手がけるようになった。最近では、タヒチ・ブランドとして、その商品をお土産にする観光客が増えている。
「さらに、ヒナノではマリンスポーツの振興にも力を入れ、サーフィンやポリネシアン・カヌーなどの試合のスポンサーを務めています」
実はフォーケードさん、92 年まで 20 年近く、真珠産業に従事していたそうだ。
「飲料という全く違うビジネスを突然任され、最初は戸惑いましたが、チャレンジするというやりがいを見出しました。ただ、未だに真珠のビジネスは懐かしい。ラグーンや島、空を舞台に自然の産物を生み出す、充実した仕事です。私にとってライフスタイルそのものでした」
このビールの醸造所がタヒチにできたのは 1914 年、それを 1974 年にフォーケードさんの祖父が買い取った。1992 年にフォーケードさんが社長に就任。ビールのほかにも各種ジュースを製造、またコカ・コーラなどの流通も行っている。
ヒナノがビールの人気でタヒチ・ブランドとして定着したため、Tシャツや水着、帽子などの小物・ファッション関連も手がけるようになった。最近では、タヒチ・ブランドとして、その商品をお土産にする観光客が増えている。
「さらに、ヒナノではマリンスポーツの振興にも力を入れ、サーフィンやポリネシアン・カヌーなどの試合のスポンサーを務めています」
実はフォーケードさん、92 年まで 20 年近く、真珠産業に従事していたそうだ。
「飲料という全く違うビジネスを突然任され、最初は戸惑いましたが、チャレンジするというやりがいを見出しました。ただ、未だに真珠のビジネスは懐かしい。ラグーンや島、空を舞台に自然の産物を生み出す、充実した仕事です。私にとってライフスタイルそのものでした」