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1. ここパペーテは南の島の大都市なのだが、ハイビスカスを髪に挿し、タヒチを象徴する色鮮やかな衣装に出会える。昔ながらのスタイルの女性も多い。
2. パペーテの街では、文明と伝統が自然に調和していると感じる。街角には、フランスのおしゃれな雰囲気と南国のムードをもつ、独特の空間も広がる。
3. 街のファストフード店に並ぶ少女たちも、さりげなく髪に花を挿している。道端に咲いているハイビスカスなどの花を手で折って挿すのがタヒチ流。
4. とにかく気さくで陽気なタヒチアン。街中でもウクレレやギターを持つ人たちが集まれば、自然とセッションが始まる。
5. タヒチでは、今でも素足で仕事に出かける男性も多いという。多くの人はビーチサンダルを愛用。気楽なスタイルでどこへでも出かける。
6. きれいな柄のパレオをまとったタヒチの女性。パレオは民族衣装「パレウ」(タヒチの言葉で「巻きつけるスカート」を意味)に由来する。
17 世紀、周辺の島々には食人の習慣を持つ好戦的な部族が多かったが、タヒチ島に限っては友好的な人々が住んでいた。東京都の半分ほどの面積しかないタヒチ島だが、変化に富んだ地形と、豊かな土壌に恵まれている。
 船員らは山海の幸と官能美溢れる乙女達に魅せられた。英国の武装船で起きた実話に基づいた小説『バウンティ号の反乱』のように、タヒチ妻と居残る脱走船員もいたほど。後に映画化され主役のマーロン・ブランドは、相手役のタヒチ女優と結婚し、タヒチに移住。“楽園と美女"と話題を集めた。
ヨーロッパからの最初の船は、パペーテの東、マタバイ湾のビーナス岬の沖合いに着いた。現在の鉤状の半島に守られたパペーテ湾が築かれたのは後の話だ。19世紀半ばフランスは、タヒチ島の女王ポマレ4世を懐柔し、勢力下に。その後、ポリネシアの中継地、主都として発展してゆく。
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