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祇園甲部を歩く。
祇園の起源をたずねて
 京都には幾つかの花街があるが、祇園甲部は別格である。祇園には実は二つの花街があって、祇園を東西に走る四条通と、南北に走る花見小路通で四分割すると、東北の一角が祇園東、それ以外が祇園甲部とされている。祇園甲部には、歌舞伎『忠臣蔵』などでお馴染みの大石内蔵助が遊んだことで知られる一力茶屋から南へ、よく磨かれた紅殻格子も美しいお茶屋さんや料亭が軒を連ねている。
 そんな花街としての祇園の歴史は、江戸時代の初期に遡る。この頃、八坂神社が花見や月見の地として賑わうようになり、そこへ自然と茶や団子を振る舞うお茶屋ができたのが始まりだ。それまでは、室町時代の応仁の乱で一面焼け野原になった後遺症というか、土地のほとんどが田んぼか畑。八坂神社の参拝客に湯茶を供する水茶屋がわずかばかりあるだけの寂しい門前町だったという。ちょっと想像しづらいが、500年も昔の話である。
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