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階段坂が真っすぐに下る三年坂の上からは、今と昔が混在する六本木の風景を一望できる。三念坂とも呼ばれ、同名の坂道が数カ所ある。
 また東京スリバチ学会会長を務める皆川典久氏の『東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)によれば、六本木は「六本木交差点と2つのメインストリート(六本木通り・外苑東通り)を取り囲むように6つの谷が点在し」、京都で古来、町を災いから守るため、仏教の六道に由来する信仰として、六つの街道の入り口に六地蔵を祭ったように、「六本木の6つの窪地も、あたかも六地蔵のように六本木の町を取り囲み、結果をつくって町を守るかのごとくである」とのことだ。
 窪地は、日下窪、竜土町の窪地、乃木坂の窪地、我善坊谷、丹波谷、狸穴坂の窪地があり、それぞれ10mから20m近くの高低差を持ち、かつては窪地の上と下では人々の生活様式が全く異なっていたようだ。
 日下窪は六本木ヒルズが立つ傾斜地で、長門長府藩主毛利家の上屋敷であった。竜土町の窪地は六本木ヒルズと東京ミッドタウンに挟まれ、星条旗通りへとつながっている。乃木坂の窪地は東京ミッドタウンと乃木神社が向かい合う谷間。我善坊谷は麻布郵便局、外務省飯倉公館、そしてホテルオークラ東京の丘陵に挟まれた谷をいう。丹波谷はもともと旗本岡部丹波守長賢が拝領した土地とされ、外苑東通りの東面から谷町にかけて大きくえぐれた窪地で、谷底に六本木墓苑がある。狸穴坂の窪地はロシア大使館の狸穴坂を下っていった窪地。ここは、江戸時代からの町名が変更されなかった貴重な場所でもある。


「六本木散歩・米国人建築家ヴォーリズ」へ
元和年間に旗本岡部丹波守の屋敷が建てられたことで、坂下を丹波谷といった。これが、明治初年に開かれた丹波谷坂の由来となる。
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