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数ある坂の中でも最も道幅が広い二十間坂。
この広さは函館を何度も襲った大火の猛威の副産物とも言える。
1900(明治33)年には、函館要塞に備える大砲の搬送に利用された。
 それにしてもなぜ函館にだけ、こんな異風の建築が生まれたのか。おそらく狭い函館には外国人居留地が置けず、市民と外国人が雑居していたからだろう。それだけ西洋の建築技術を取り入れやすい環境にあったということだ。また一説によると、「坂の下からは2階部分だけが重なって見えるので、そこが目立つように色鮮やかなペンキ塗りの洋風にした」とか。函館は欧米と肩を並べる近代都市だと主張したかったのだ。
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