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五稜郭に散った青春
 1859(安政6)年、函館は横浜・長崎とともに本格的な国際貿易港として開港した。これに先立って、幕府は蝦夷地を直轄地とし、函館に奉行所を設置。五稜郭はこの時に建造された星形の要塞である。
 ここは日本を二分する史上最大の内戦、戊辰戦争の最後の戦場にもなったところだ。1868(明治元)年に榎本武揚ら旧幕府脱走軍が占拠し、仮の政権を樹立したが、箱館戦争が勃発。新政府軍に包囲されて、降服を余儀なくされた。この間、松前の攻略や江差山道での新政府軍迎撃などで死闘を演じたのが、新選組副長から旧幕軍首脳に転身した土方歳三である。
 激烈な抗戦の果てに34歳の若さで討ち死に。幕府御典医・松本良順の著書『蘭疇自伝』によると、土方は戦局を「到底勝算の必ず期すべきあるにあらず」と展望していたという。そんな土方を何が“負け戦"へと駆り立てたのか。新政府の閣僚に列せられることを夢見たのか、あるいは進退窮まった末の死地を求める漂泊だったのか。いずれにせよ土方は、新しい時代の象徴であり、封建制度終幕の地でもある五稜郭で、幕末を駆け抜けた青春に終止符を打った。確かな事実はそれだけだ。
 函館は国の存亡と将来を懸けて、若者たちが青春のエネルギーを激しくぶつけ合った戦いの決戦地だった。五稜郭タワーで展望台から市街地を一望し、歴史回廊の展示を見て歩くうちに、ここで新しい日本が生まれたのだ、日本の青春時代が始まったのだという思いにとらわれた。
八幡坂の中ほどから海を望む。
坂上には北島三郎の出身校として知られる函館西高等学校がある。
仲の良い老夫婦で話題になった「チャーミーグリーン」のCMロケ地としても有名だ。
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