
金森赤レンガ倉庫は、函館で最初に開業した営業倉庫。
1863(文久3)年に長崎から来函した24歳の渡辺熊四郎が1887(明治20)年に始めた倉庫業をルーツとする。
1863(文久3)年に長崎から来函した24歳の渡辺熊四郎が1887(明治20)年に始めた倉庫業をルーツとする。
函館山から市街地の右手に広がる津軽海峡を眺めていたら、なぜか不意に、耳の奥で井上陽水の歌が鳴り始めた。
それが冒頭の 『つめたい部屋の世界地図』にある歌詞だ。かつて青函連絡船で津軽海峡を渡った人たちの思いとシンクロナイズしたのかもしれない。
幕末から明治、大正、昭和にかけての函館は、まさに青春の真っただ中。多くの若者が吸い寄せられるように函館を目指し、その“まだ見ぬ国"で始まる「青春の旅」への情熱をほとばしらせたのである。
青春の胎動
開港前の18世紀末、函館に異国の風が吹き込んだ。ロシアの女帝エカテリーナ2世の特使ラクスマンが、伊勢の船頭・大黒屋光太夫ら漂流船員の送還という名目で根室と函館に来航。国交通商を要求した。
そんな函館に将来性ありと踏んだのだろう、西廻り航路で交易する廻船問屋の高田屋嘉兵衛が淡路島からはるばる函館へやって来た。弱冠28歳。以後、彼は幕府の国防に協力する形で、択捉・国後・根室の漁場を開拓し、巨万の富を得た。それを公共投資に注ぎ込み、函館の都市形成に大きな役割を果たしたのである。
函館山を背に立つ嘉兵衛の像を見上げて思った。この時期の函館はいわば青春の胎動期だったのだと。
それが冒頭の 『つめたい部屋の世界地図』にある歌詞だ。かつて青函連絡船で津軽海峡を渡った人たちの思いとシンクロナイズしたのかもしれない。
幕末から明治、大正、昭和にかけての函館は、まさに青春の真っただ中。多くの若者が吸い寄せられるように函館を目指し、その“まだ見ぬ国"で始まる「青春の旅」への情熱をほとばしらせたのである。
青春の胎動
開港前の18世紀末、函館に異国の風が吹き込んだ。ロシアの女帝エカテリーナ2世の特使ラクスマンが、伊勢の船頭・大黒屋光太夫ら漂流船員の送還という名目で根室と函館に来航。国交通商を要求した。
そんな函館に将来性ありと踏んだのだろう、西廻り航路で交易する廻船問屋の高田屋嘉兵衛が淡路島からはるばる函館へやって来た。弱冠28歳。以後、彼は幕府の国防に協力する形で、択捉・国後・根室の漁場を開拓し、巨万の富を得た。それを公共投資に注ぎ込み、函館の都市形成に大きな役割を果たしたのである。
函館山を背に立つ嘉兵衛の像を見上げて思った。この時期の函館はいわば青春の胎動期だったのだと。