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同時期に移住してきた東欧系ユダヤ人たちの存在も小さくない。もともと港町というコスモポリスとしての性格が強かった同地においては、ユダヤ人の商活動に関して寛容な伝統が息づいていたのも追い風となった。彼らの商活動において象徴的といえるのが、ダイヤモンドの取引だ。陸封時代からアントワープにおけるダイヤモンドの取引は盛んであった。さらにその位置を確固たるものとしたのが、1866年の南アフリカ・キンバリー・ダイヤ鉱発見に始まる市場のグローバル化だ。これをきっかけに今日までにいたる『世界のダイヤモンド集積所』は不動の地位であり続ける。
 しかしながら、アントワープの栄華は1920年の夏季五輪開催そして1930年開催の国際万博を頂点にして、ぷっつりと途絶える運命に巻き込まれる。第二次大戦の戦禍である。戦後の伝統的な基幹産業の重工業、港湾産業の地道な復興と同時に、商業デザインのキーステーションとして著しい成長を見せている。いまやドリス・ヴァン・ノッテンを筆頭に『アントワープ6』として、モード界でパリ、ミラノに伍する勢いのアントワープ。反逆精神の港町は動き続ける。
(左)1905年に完成したアントワープ中央駅。
ネオバロック様式の壮麗な建物で、ガラス張りの天井が美しい。

(右)アントワープ6の中でも世界的に注目が高いドリス・ヴァン・ノッテンの旗艦店「ヘット・モードパレス」。

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