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万国の架け橋となり、宝を集めた海洋王国
首里城で有名なもののひとつに、「万国津梁の鐘」がある。
 1458年、琉球王国六代目の王、尚泰久が鋳造させた鐘で、有名なのは鐘そのものよりも刻まれている銘文である。そこには漢詩で次のようなことがうたわれている。
 ―琉球国は南海の美しい国であり、朝鮮の優れたところを取り入れ、中国と日本とは非常に親密な関係にある。(中略)船をもって万国の架け橋となり、珍しい宝はいたるところに満ちている。
 三山時代から琉球王国時代を通して、琉球は明との冊封関係を基盤に、タイやインドネシアなど東南アジアから仕入れた品を明に進貢し、明から持ち込んだ品々を日本や韓国に輸出する中継貿易によって栄えていた。鐘の銘文は、海洋国家としての琉球王国の性格を現代に伝えている。
 モノだけでなく人の交流も盛んに行われ、明からは貿易の従事者として人員が派遣され、那覇に久米村という中国人の村が作られていた。日本からも堺の商人などが、外国から集まる貴重な品々を目当てに移住していたようである。貿易だけでなく、政治の舞台でも明や日本出身の人材が数多く活躍した。海洋国家・琉球王国は、島という限られた範囲にとらわれず、海を通じて日本や中国など諸外国の文化を受け入れながら、独自の文化を花開かせた国なのだ。尚泰久の後、琉球王国は尚円金丸による第二尚氏政権へと続き、薩摩侵入までの百数十年間、最盛期を迎えることとなる。
(上)琉球王家の別邸、識名園。冊封使の接待に利用された。「勧耕台」と呼ばれる展望台からは、海のない、大地の風景が見渡せる。琉球を大国のように見せるためであったという。
(下)琉球王尚真によって1501年に築かれた、第2尚氏時代の王家の陵墓。往時の姿を残す沖縄最大の破風墓で、世界遺産にも指定されている。ここに葬られるべき王族の名を記した碑文も残る。
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