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北海道農業研究センターで牛の飼料研究のために飼われているコリデール。
1919年に月寒種羊場として羊の調査研究が盛んだったこの辺りには、羊がたくさんいたことから、「羊ヶ丘」と呼ばれるようになり地名となった。
北海道開拓は縮小傾向に

 「国の牧羊事業は、飼育頭数の減少により明治21年に中止されました。病気持ちの羊をたくさん入れたために、多くの羊がやられてしまった。あと、高温多湿の下総はもともとめん羊の飼育には向かなかったこともあります。羊は環境適応力が高く、高原や山岳地帯、海岸、砂漠など、さまざまな地域で飼育されていますが、高温多湿には弱いのです。その点、寒冷な乾燥地帯で広々とした土地が開けた北海道は適地ですし、ダンの指導のおかげで羊の繁殖成績は良好でした。問題は、当時の北海道は農家そのものが少ない上に、羊は見たこともない新参の家畜。開拓を担う屯田兵や入植者は、馴染みのある乳牛や豚にかかりきりで、羊まで手が回らないのが実情でした。国は一生懸命だったけど、産業として育つ下地がなかったわけです。ただ、エドウィン・ダンが指導した札幌牧羊場での飼養管理技術は、今日に継承されています。北海道では牧羊事業が育つ芽が守られたといえますね」
 羊とつき合って62年、日本のめん羊が劇的に変化する時代を生きた、北海道めん羊協議会顧問の近藤知彦さんはこう語る。日本の牧羊事業は政府の見切り発車による失敗で、幕を開けたのである。
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