
本館は「擬洋風建築」といわれる、珍しい木造の石張り。モダンで壮大な建物は、当時“海内無比”といわれたほどの大建築物だった。
レクサスといえば、1989年に米国でデビューして大いなる人気を博した後、日本に凱旋した経緯を持つ。そのグローバルな在り方と、龍谷大学の歴史が、どこかで共通するように思える。とりわけ同大学にゆかりのある、京都の浄土真宗本願寺派第22世宗主であった大谷光瑞(おおたにこうずい)が、真っ先に頭に浮かんだ。1876(明治9)年に生まれ、1948(昭和28)年に没した大谷光瑞は、大変興味深い人物。宗教家でありながら、希代の探検家でもあったからだ。
1902年から14年にかけて、仏教の伝播ルートを探る目的で調査団(大谷探検隊)を組織。中央アジアにおける、仏教の教義、東遷の跡を踏査した。インドで、釈迦ゆかりの霊鷲山(りょうじゅせん)を発見するなど、大きな功績を残している。大谷光瑞はこれまでに文学者を刺激し、津本陽の『大谷光瑞の生涯』といった伝記小説や、毎日芸術賞を受賞した辻原登の『許されざる者』に登場する人物のモデルになるなど、多くの小説が発表されている。文学者の筆によって、壮大な夢を語る往年の姿が活写され、それがより深い興味を呼びさます。
1902年から14年にかけて、仏教の伝播ルートを探る目的で調査団(大谷探検隊)を組織。中央アジアにおける、仏教の教義、東遷の跡を踏査した。インドで、釈迦ゆかりの霊鷲山(りょうじゅせん)を発見するなど、大きな功績を残している。大谷光瑞はこれまでに文学者を刺激し、津本陽の『大谷光瑞の生涯』といった伝記小説や、毎日芸術賞を受賞した辻原登の『許されざる者』に登場する人物のモデルになるなど、多くの小説が発表されている。文学者の筆によって、壮大な夢を語る往年の姿が活写され、それがより深い興味を呼びさます。