函館の異国情緒に誘われて
中央埠頭に立ち、函館山を見上げる。函館はやはり“坂の町"だ。海岸線へと続く10本以上の坂道が見える。その中で、最も長い弥生坂がくっきり浮かび上がる。その右手のこんもりした山のような島に架かる新島橋の辺りから、同志社の校祖である新島襄(にいじまじょう)がアメリカへ密航したという。
外洋に乗り出す若者もいれば、海外から渡ってくる宣教師や商人もいる。そして町も人も、流入する異国文化の刺激を受けた。その空気を今に伝えるのが坂道なのだろう。
まず基坂(もといざか)。かつて坂上に役所が置かれていて、松前藩時代の亀田番所に始まり、幕府直轄時代の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は1950(昭和25)年まで渡島支庁と、時代の変遷とともに名称を変えながら歴史を紡いだ。「お役所坂」の名で親しまれたこの基坂を上った先にある旧函館区公会堂を左に折れてしばらく歩くと、教会群に行き当たる。
ゴシック調の大鐘楼を持つカトリック元町教会、ロシア領事館付属聖堂を前身とする函館ハリストス正教会、上から見ると十字の聖堂が目を引く函館聖ヨハネ教会……宗派の異なる三つの教会が肩を寄せ合うように立ち、「函館の中の異国」を象徴する景観を創り出している。
外洋に乗り出す若者もいれば、海外から渡ってくる宣教師や商人もいる。そして町も人も、流入する異国文化の刺激を受けた。その空気を今に伝えるのが坂道なのだろう。
まず基坂(もといざか)。かつて坂上に役所が置かれていて、松前藩時代の亀田番所に始まり、幕府直轄時代の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は1950(昭和25)年まで渡島支庁と、時代の変遷とともに名称を変えながら歴史を紡いだ。「お役所坂」の名で親しまれたこの基坂を上った先にある旧函館区公会堂を左に折れてしばらく歩くと、教会群に行き当たる。
ゴシック調の大鐘楼を持つカトリック元町教会、ロシア領事館付属聖堂を前身とする函館ハリストス正教会、上から見ると十字の聖堂が目を引く函館聖ヨハネ教会……宗派の異なる三つの教会が肩を寄せ合うように立ち、「函館の中の異国」を象徴する景観を創り出している。


(上)八幡坂の中ほどから海を望む。坂上には北島三郎の出身校として知られる函館西高等学校がある。仲の良い老夫婦で話題になった「チャーミーグリーン」のCMロケ地としても有名だ。かつて坂の上に函館八幡宮があったとされ、その名の由来となっている。
(下)1859(安政6)年に函館は横浜・長崎とともに本格的な国際貿易港として開港。金森赤レンガ倉庫は、函館で最初に開業した営業倉庫。1863(文久3)年に長崎から来函した24歳の渡辺熊四郎が1887(明治20)年に始めた倉庫業をルーツとする。
(下)1859(安政6)年に函館は横浜・長崎とともに本格的な国際貿易港として開港。金森赤レンガ倉庫は、函館で最初に開業した営業倉庫。1863(文久3)年に長崎から来函した24歳の渡辺熊四郎が1887(明治20)年に始めた倉庫業をルーツとする。