1964年の東京オリンピックでは、聖火を運ぶケースの製作も担っている。皇室にも御外遊用の船箪笥(だんす)やシルクハットケースを献上し、時代の先端を行く技術と、職人による品質の高いモノづくりでマスミ鞄嚢の名が国内外に知られるようになったのもこの頃だ。
「スマートケース」に見られる初期の鞄は、その枠が重さのあるブリキ製だった。これを軽量化するため、建築素材のベニヤ板を曲げて鞄枠にすることを、豊岡の合板メーカーとの共同開発によって実現したのが2代目の植村美千男氏である。こうした伝統があるからこそ、マスミ鞄嚢は鞄製造会社として日本で唯一、木工部を持ち続けている。木枠からすべてオリジナルで作れるうえ、材木と革を一緒に縫える特殊なミシンを備えるため、「マスミ鞄嚢なら作れるのではないか」と木製鞄を開発する企業や特殊用途の鞄の依頼が多い。
「スマートケース」に見られる初期の鞄は、その枠が重さのあるブリキ製だった。これを軽量化するため、建築素材のベニヤ板を曲げて鞄枠にすることを、豊岡の合板メーカーとの共同開発によって実現したのが2代目の植村美千男氏である。こうした伝統があるからこそ、マスミ鞄嚢は鞄製造会社として日本で唯一、木工部を持ち続けている。木枠からすべてオリジナルで作れるうえ、材木と革を一緒に縫える特殊なミシンを備えるため、「マスミ鞄嚢なら作れるのではないか」と木製鞄を開発する企業や特殊用途の鞄の依頼が多い。

(左)テーブルや椅子、船箪笥と呼ばれる家具も展示。船箪笥はアパレルショップの什器(じゅうき)として活用されることが多い。(右)すでにここにしかない古いアメリカ製のジーンズ用のミシンを、鞄のポケットを縫うために改良したもの。長年使いこなし、伝統の鞄を作り続ける。