PAGE...1|2|3|4|5|6
原点は14室の「観光」ホテル
時間軸を50年、1962年10月に巻き戻そう。会長が8歳になったこの年、両親が那覇市若狭の埋め立て地に「沖乃島観光ホテル」の看板を掲げた。客室数は14、収容人数は42名の小さなホテルだった。
 「当時は何も思わなかったし、親父も何も説明しなかったけれど、自分がホテルの仕事に就いて30歳になった頃に、はたと気付きました。ホテル名に『観光』の文字を冠したのはすごいなと。ホテルと言えばいわゆる連れ込み宿と相場が決まっていた時代ですし、沖縄が本土に返還される10年も前で観光客もほとんどいませんでしたからね。でも親父は、これから沖縄に観光産業が根づいていくと確信していた。だからこそホテル名を介して『うちは観光の人しか泊めませんよ』と宣言したのだと思います。市場性が全くない中で、こんなにも明確に将来に向けてのコンセプトを打ち出した、その親父の勇気と先見性には、今さらながらに感服しています」
 那覇市でも珍しいこの「観光」ホテルは、商用や興業活動で訪れる本土の客の間でも評判になった。そして4年後、もっと広い空間を求めて、那覇市松尾のホテルを買い取り「ホテルなは」をオープン。大きな転機が訪れたのは、本土復帰3年後の1975年に「沖縄国際海洋博覧会」の開催が決まったことである。
(上左)1962年、那覇市内で開業した「沖乃島観光ホテル」。この頃、本土から沖縄を訪れる人々はせいぜい15万人だったという。(上右)1987年に開業した「かりゆしビーチリゾート恩納(現オーシャンスパ)」の落成式。他社に先駆けて「リゾート」という言葉が使われた。(下左)かりゆしグループ本社の近く、那覇の市街地に立つ沖縄かりゆし琉球ホテル・ナハはホテルニュー那覇として79年にオープンした。(下右)慶良間列島への大型フェリーが発着する泊港に面している、沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ。那覇空港へは車で約15分と交通の便がいいシティーリゾートホテルだ。
PAGE...1|2|3|4|5|6
LINK
TRAVEL
恩納村で新しいリゾートライフを
>>2019.9.20 update
TRAVEL
南国の海に遊ぶ
>>2020.2.28 update
TRAVEL
自然を満喫する島旅
>>2019.3.6 update
TRAVEL
Many Hotels, Many Minds Vol.2
>>2014.7.29 update
GOURMET
食語の心 第75 回
>>2019.7.5 update

記事カテゴリー