
霊山寺の本堂。天平年間(729~749年)に行基が開いた高野真言宗の寺で、本尊は釈迦如来。無数の灯籠に明かりがともっていて、幻想的である。
空海と四国遍路“不思議体験”
そんな寺の中でも重要なポイントが二つある。一つが徳島・太龍寺周辺の大瀧嶽。標高わずか600mと、かなり低い山だ。もう一つは、室戸岬・最御 崎寺近くの御厨人屈。百万回の真言を唱えたと伝わる洞窟だ。
「谷響きを惜しまず、明星来影す」(『三教指帰』)の“不思議体験"を彷彿する情景がある。
「四国遍路は最初、修行の意味がありました。空海が悟りを開くために山深くにこもったように。僧侶たちが修行のために巡礼をしたように。そこに後年、自分個人の悩みを解決してもらおうと遍路道を歩く庶民が加わりました」。もう一つ、四国遍路で特徴的なのは「お接待」という文化が根付いたことだ。「巡礼する人たちを助けたら、お参りしたのと同じ功徳がある、という考え方が広まった」ことによる。「和歌山辺りから、今で言うボランティアのような奉仕団まで集まってきた」そうだ。
「谷響きを惜しまず、明星来影す」(『三教指帰』)の“不思議体験"を彷彿する情景がある。
「四国遍路は最初、修行の意味がありました。空海が悟りを開くために山深くにこもったように。僧侶たちが修行のために巡礼をしたように。そこに後年、自分個人の悩みを解決してもらおうと遍路道を歩く庶民が加わりました」。もう一つ、四国遍路で特徴的なのは「お接待」という文化が根付いたことだ。「巡礼する人たちを助けたら、お参りしたのと同じ功徳がある、という考え方が広まった」ことによる。「和歌山辺りから、今で言うボランティアのような奉仕団まで集まってきた」そうだ。