
若女将の富美栄さんは、徳島民謡の「せきぞろ」を披露。赤い蹴出しを見せて舞う男踊りは勇ましく、合い間の掛け声が小気味よい。

徳島の魅力をふんだんに
Photo Masahiro Goda
Text Nile's NILE
Text Nile's NILE
阿波藍の富で発展した花街、富街
「蜂須賀25万石、藍60万石」と謳われた徳島の花街富田町は、かつて「富街(ふうがい)」と呼ばれていた。明治時代、富田町に検番が設けられ、昭和初期の最盛期には芸妓は200人を超えた。数多くの料亭が立ち並んだ路地を、お座敷へと急ぐ芸妓や人力車が行き交い、それは華やかだったという。「富街」は阿波藍の商談の場として、県の財界、官界などの会合の場として繁栄し、三味線の音は引きも切らなかった。お稽古事の盛んな徳島の風土と相俟って芸妓たちは皆、器量よしで芸達者。時は移り人は変わりながらも、かつての嫋嫋たる風情が残る「富街」を歩いた。
明治時代の後半に、ピークを迎えたのが阿波藍である。ずっと阿波の財政を支えてきたが、藩政時代は藩が阿波藍(蒅)を厳重に管理。毎年、12月に藍大市が行われ、全国から商人たちが品定めしにやって来たという。こうした藍商人たちを接待する街として発展したのが、徳島の花街、富田町である。通称、富街(ふうかい)。
明治時代の後半に、ピークを迎えたのが阿波藍である。ずっと阿波の財政を支えてきたが、藩政時代は藩が阿波藍(蒅)を厳重に管理。毎年、12月に藍大市が行われ、全国から商人たちが品定めしにやって来たという。こうした藍商人たちを接待する街として発展したのが、徳島の花街、富田町である。通称、富街(ふうかい)。

端唄の「縁かいな」をしっとりと舞ったのは、しまだのエース、美月さん。うちわを巧みに使いこなし、美しく、妖艶に、演舞した。