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(左)ダイナースクラブの生みの親、マクナマラ。弁護士の友人と1万ドルずつ出資して、クラブを創設した。ニューヨークのレストラン7軒と契約し、100人余りの知人を集め、会員証を発行したのが始まりだ。
(右上)2009年には新しいロゴを配した、よりコンテンポラリーなイメージのフェイスに変貌。(右下)日本創業当初のカードは何と紙製。
「食」に始まる50年の歩み
あ……財布を忘れた…。1950年、ニューヨークのレストランで小さな“事件"が起きた。実業家のマクナマラが食事を終え、支払いをする段になって、財布を忘れてきたことに気づいたのだ。そこは馴染みの店ではない。彼は慌てて郊外の自宅に連絡し、夫人に現金を届けてもらった。この時、胸を撫でおろしながら、彼は考えた。
「初めて行くレストランでも、ツケで食事を楽しめる。そんな仕組みができないものだろうか」
 その思いから産声をあげたのが、その名もダイナースクラブ――食事を楽しむ人のためのクラブである。この誕生物語から、ダイナースクラブが「食」に関わるサービスで異彩を放つ理由がわかるだろう。
 クレジットカードが世界を席捲する原動力となったのは、ダイナースクラブがいち早く導入したフランチャイズ制だ。日本は1960年12月2日、24番目のフランチャイジーとなった。加盟店第一号は東京麹町・ダイヤモンドホテル。以後、山の上ホテル、椿山荘、天一など約100店舗で営業がスタートした。
 日本上陸の一番の目的は、実は「日本国内で会員を募る」ことではなかった。時代はまだカード黎明期。ダイナースクラブも「外国人旅行客の利便性のために加盟店網を整備する」ことに軸足を置いて海外戦略を展開していたのである。つまり、ある種の国際観光事業。この経験がトラベル&エンターテインメント分野という「強み」に磨きをかけたのだ。
 カードを紙からプラスチックに変えたのも、銀行口座振替制度を導入したのも、キャッシング・サービスを開発したのも、日本ダイナースクラブが初めて。そのパイオニア精神は78年に日本で初めて海外・国内共用のインターナショナルカードの発行を開始したことにも発揮された。
 また、創業当時から厳しい入会基準の下で「一律の限度額を設けない」方針が貫かれている。「お客様のステータスの高さがそのままダイナースクラブカードの信用の高さである」という理念は、半世紀を経た今も揺るぎない。
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