
県道に面した鳥居が目印の月讀神社は、月夜見尊(つきよみのみこと)が祭神。『日本書記』によればここから京都の松尾大社の摂社である月読神社に分霊されたと伝わる。壱岐の社が全国の月讀神社の元宮という説もある。

京都に分霊した月讀神社
Photo Chiyoshi Sugawara Text Nile’s NILE
この島随一の由緒を誇るといえるのが月讀(つきよみ)神社は、早くも『日本書紀』に記されている。
この島随一の由緒を誇るといえるのが月讀(つきよみ)神社だろう。早くも『日本書紀』にこう記されている。
顕宋(けんぞう)3年に阿閉臣事代(あへのおみことしろ)と呼ばれる官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那(みまな)に使いに出る。その際に月神に憑依(ひょうい)された人物に出会い、「土地(京都)を月の神に奉献せよ、そうすれば良いことがあろう」という託宣があった。阿閉臣事代が天皇に月神の言葉を告げたところ、朝廷が受け入れて、壱岐県主(あがたぬし)の忍見宿祢(おしみのすくね)に命じて壱岐の月讀神社から分霊させ京都に祀った。これが現在の松尾大社の摂社である月読神社だ。またこの分霊により、壱岐の社が全国の月讀神社の元宮という説もある。
顕宋(けんぞう)3年に阿閉臣事代(あへのおみことしろ)と呼ばれる官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那(みまな)に使いに出る。その際に月神に憑依(ひょうい)された人物に出会い、「土地(京都)を月の神に奉献せよ、そうすれば良いことがあろう」という託宣があった。阿閉臣事代が天皇に月神の言葉を告げたところ、朝廷が受け入れて、壱岐県主(あがたぬし)の忍見宿祢(おしみのすくね)に命じて壱岐の月讀神社から分霊させ京都に祀った。これが現在の松尾大社の摂社である月読神社だ。またこの分霊により、壱岐の社が全国の月讀神社の元宮という説もある。