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国宝7点、重要文化財84点を含む、約20万冊の古典籍と6500点の東洋古美術品を収蔵
静嘉堂文庫は、岩崎彌太郎の弟で、第2代の社長を務めた岩﨑彌之助と、その息子で第4代社長の岩﨑小彌太の父子2代によって設立された。国宝7点、重要文化財84点を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6500点の東洋古美術品を収蔵する。軽視されがちだった東洋固有の文化財を愛惜し、その散亡を恐れた彌之助は1887(明治20)年ごろから本格的に蒐集(しゅうしゅう)を始め、さらに小彌太によって拡充。彌之助の蒐集が絵画、彫刻、書跡、漆芸、茶道具、刀剣など広い分野にわたるのに対し、小彌太は中国陶磁を系統的に集めているのが特色だ。彌之助の死後、三回忌の1910(明治43)年に、小彌太は岡本の地を求め、英国人建築家、ジョサイア・コンドルの設計による岩﨑家廟堂(びょうどう)(納骨堂)を建てた。
 静嘉堂文庫の建物は、日本人初の英国王立建築家協会建築士、桜井小太郎の設計によるもので、1924(大正13)に完成。スクラッチ・レンガ貼りの瀟洒(しょうしゃ)な外観は、当時のイギリスの郊外住宅のスタイルを表している。
かつてこの辺り一帯を岩﨑家が所有していたことを物語る門扉。この森林を抜けた先に、静嘉堂文庫と静嘉堂文庫美術館がある。
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