

京都で育った鈴木松年。さまざまな画派が自由に表現を追求していた明治初期の京都画壇の中で、ひときわ豪放な作風で知られた。力強い筆致、ドラマチックな表現から、当時つけられたあだ名は「今蕭白」。仙人たちを描いたこの迫力ある一枚からも、松年の感性が伝わってくる。

近代日本画を確立した明治の巨匠、橋本雅邦。狩野派の伝統的画法を学ぶも、西洋絵画の遠近感、立体感を取り入れて両者を融合させた。「龍虎図屏風」は、その融合を成し遂げた渾身(こんしん)の力作。当時は「腰抜けの虎」などと評されたが、陰影による奥行きなどから新時代の表現が見て取れる。
“名パトロン兼コレクター”誕生
西洋文化の洗礼を受け、あらゆる分野で大きな変革を迎えた幕末明治の日本。新思想に刺激を受け、新たなる時代を築くべく希望を抱き、果敢に行動した人たちも多い。
三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎はそうした人物の代表格。彌太郎を敬愛した弟の彌之助もまた、時代の牽引(けんいん)役の一人だ。彼は実業界で活躍するのみならず、芸術にも深い関心を示し、古美術や古典籍を蒐集。さらに同時代の芸術を支援した。今風に言えば、まだ評価の定まっていない現代アートに対する目が利き、芸術家たちを奮起させる、名パトロン兼コレクターといったところだ。
三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎はそうした人物の代表格。彌太郎を敬愛した弟の彌之助もまた、時代の牽引(けんいん)役の一人だ。彼は実業界で活躍するのみならず、芸術にも深い関心を示し、古美術や古典籍を蒐集。さらに同時代の芸術を支援した。今風に言えば、まだ評価の定まっていない現代アートに対する目が利き、芸術家たちを奮起させる、名パトロン兼コレクターといったところだ。