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運命を味方に変えた日々
17年の全米プロで悔し泣きして以来、松山は勝利から遠ざかった。試合会場の練習場で日が暮れるまで球を打ち、しかし翌日は「練習でできたことが試合ではできない」と肩を落とした。スイングコーチやメンタルコーチを付けてみたらと勧められても、「自分のことは自分が一番わかっているので」と拒み、彼は日に日に思考も姿勢も硬化させていった。

 そうやってかたくなになる一方だった松山が昨年12月に目澤秀憲コーチと契約したことは驚きの変化だった。

 「これまでは自分一人でやっていて、自分が正しいと思い過ぎていた。コーチを付けて、今は客観的な目を持ってもらいながら正しい方向に進んでいる」

 今年のマスターズは、そう信じて挑んだからこそ「一人じゃない」と感じられ、それが松山の心に余裕をもたらしたのだろう。彼の表情は、終始、穏やかだった。初日から2位タイの好発進。スーパーショットやミラクルパットを連発したわけではなく、着実にフェアウェーとグリーンを捉え、ミスしたときは冷静にリカバリーを心がけ、淡々とボールをカップに沈めた。そう言ってしまうと当たり前に聞こえるかもしれない。だが、その「当たり前」をどれだけ心穏やかにやり通すことができるかがメジャー優勝には何より問われることを、松山は10年の歳月をかけて学び取り、今年のマスターズでようやく実行することができたのだ。

 2位に4打差の単独首位で迎えた最終日。松山は出だしの第1打をいきなり右に曲げ、ボギー発進でつまずいたものの、2番ですぐさまバーディーを奪い返し、3番のパーセーブで落ち着いた。しかし、15 番でボギーを喫し、追撃をかけてきたザンダー・シャウフェレとわずか2打差で上がり3ホールを迎えた。ともすれば形勢逆転も起こりうる状況だったが、松山は穏やかな表情のまま「ザンダーのプレーをコントロールすることはできないので、自分がいいプレーをすることだけを考えた」。逆に松山の攻め方を先読みしたシャウフェレは、16番で池に落とし、トリプルボギーで自滅した。松山も16番ではボギーを喫し、最終ホールの18番はパーパットを外してしまったが、最後はボギーでも1打差で勝てることを知っていたからこそ、彼は力尽きて外してしまったのだろう。

 「上がり方はカッコ悪かった」と松山は振り返った。だが、初出場からの10年間、すべての出来事を受け入れながら必死に歩んできた彼が、最後に力尽きながらパーパットを外した姿は、格好悪くなんかない。苦難を乗り越え、幼いころからの夢だったマスターズ優勝を成し遂げた姿は、無条件に格好良かった。

 「僕が勝ったことで日本人もできるって、わかったと思う。僕もまだまだ頑張るので、みんなもメジャー優勝を目指して頑張ってほしい。僕みたいになりたいと思ってくれたら、うれしい」

 自分に続いてほしいという思いを、未来を担う子供たちに伝えた松山の姿は、最高に格好良かった。グリーンジャケットを羽織るまでに遭遇したさまざまな山や谷。そのすべてが運命だったのだとしても、運命という名のチャンスをマスターズ制覇に結び付けたのは、彼自身の努力と鍛錬だ。日本のファンや子どもたちに勇気と感動を与えたいという彼の願いと優しさが、そこに加わり、史上初の日本人マスターズ・チャンピオンが生まれた。

 マスターズ初出場から初制覇に至るまで、松山が過ごした長い歳月は、運命を味方に変えて夢をかなえ、その生きざまを後世に伝えたいと願う、そういう10年だった―。
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