





資生堂のイメージをつくった意匠部のポスター
(上左)「オイデルミン」 1925年 デザイナー・矢部李
(上右)「春化粧は資生堂のおしろい」 1925年 デザイナー・矢部李
(中左)オーデネーヂ 1926年 デザイナー・沢冷花
(中右)資生堂香油 1926年
(下左)資生堂過酸化水素クリーム 1926-28年
(下右)資生堂過酸化水素キュカンバー 1926年
(上左)「オイデルミン」 1925年 デザイナー・矢部李
(上右)「春化粧は資生堂のおしろい」 1925年 デザイナー・矢部李
(中左)オーデネーヂ 1926年 デザイナー・沢冷花
(中右)資生堂香油 1926年
(下左)資生堂過酸化水素クリーム 1926-28年
(下右)資生堂過酸化水素キュカンバー 1926年
商品の芸術化
意匠部の主業務は、ポスターや新聞・雑誌広告の制作、パッケージデザイン、店舗設計など。小村雪岱や矢部季(連兆)、沢令花、前田貢、山名文夫ら当代一流の芸術家を集め、コーポレート・アイデンティティーとデザイン力の強化に努めた。信三は社長室とは別に意匠部にも自分の机を置き、スタッフと議論をしたり、自ら絵筆を執ったりしたという。あの「花椿マーク」も、信三がその原型をデザインしたものだ。
「友人の洋画家、川島理一郎が客員として加わり、彼にはパリで流行しているファッションや生活文化を伝える『巴里通信』を送ってもらいました。それを通じて吸収した洋のエッセンスと日本独特の美を融合させ、資生堂の新たなデザインを創り出していったのです。優美な曲線を描くアールヌーボーを基調に、唐草模様やアールデコを加えて完成させた、モダンで洗練されたそのデザインが、後に『資生堂スタイル』と呼ばれたものです」
この資生堂スタイルはそのまま銀座という街の感性を象徴しているようにも思える。
「友人の洋画家、川島理一郎が客員として加わり、彼にはパリで流行しているファッションや生活文化を伝える『巴里通信』を送ってもらいました。それを通じて吸収した洋のエッセンスと日本独特の美を融合させ、資生堂の新たなデザインを創り出していったのです。優美な曲線を描くアールヌーボーを基調に、唐草模様やアールデコを加えて完成させた、モダンで洗練されたそのデザインが、後に『資生堂スタイル』と呼ばれたものです」
この資生堂スタイルはそのまま銀座という街の感性を象徴しているようにも思える。