
(左)葆光彩磁花卉文花瓶 板谷波山 昭和3年頃 完璧主義者だった波山が破棄しようとしていた作品を、“命乞い”してもらい受けたこともあった佐三氏。(右)天のうづめの命 小杉放菴 昭和26年 洋画家として将来を嘱望されながら日本画に転向した放菴。佐三氏とは美しい日本を愛すという心で共鳴しあっていた。
日本伝統の美を守り、育てるために
日本の美術業界を見渡した時、いい作品がどんどん海外へ流出したり、工業製品に押されて作家が育たないという状況を危惧してもいた佐三氏。自分が気に入った美術品を集めていく一方で、売れ線に迎合することなく、自分の信じる作品創りに邁進する創り手を積極的に支援するようになっていく。陶芸家の板谷波山、画家の小杉放菴については、その深い芸術性と人間性に感銘を受け、作家とコレクターを超えた交流が終生続いた。また、日本美術の流出という苦い経験から、西洋の人気作家作品の散逸防止にも一役買った。ジョルジュ・ルオーは日本でも人気がある作家だが、連作が切り売りにされるのを防ぐため、ひと肌脱いですべてを購入。ルオーの独特の素朴な線が仙厓に似ていると感じ、手元に置くべき作品だと理解した。サム・フランシスについては『ホワイトライン』という作品の中心に横たわる白が、水墨画における余白に見えた。現代美術の重要な作家というよりは、単に好みだったのである。社会的な要請ということに加えてやはり、美の理解、造形感覚が似ているものを直感的に手に入れたいと思ったようだ。