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「漢方薬が主流で、西洋薬剤は非常に高価か、安いものは粗悪な品が多い時代にあって、創業者の福原有信はその現状を憂い、高品質の薬品を適正価格で販売したいと強く思ったのです。それまで海軍病院薬局長という職にありましたが、24 歳の時にその安定した地位をなげうって民間に身を投じたわけです。この時代にもう医薬分業を提唱するなど、非常に志の高い人でした。今風に言うなら、社会的起業家ですね。もっとも適正価格とはいえ薬は高価で、最初はずいぶん苦労をしたようです」
 と語る代表取締役副社長・岩田喜美枝氏はまた、「銀座とのつながりで言えば、夫人の徳さんの存在が大きい」と言う。徳さんは今で言う販売店の店長のような役回りもしていた。毎日決まった時間に銀座を歩き、開店前の店の前でもお辞儀をしていたという。「皆さんのおかげで銀座があり、銀座のおかげで資生堂がある」という思いを込めて。今も同じ思いが資生堂にはある。銀座と一体となって共存共栄を目指す資生堂の歩みは、こうして始まったのである。
岩田喜美枝
資生堂代表取締役副社長
東京大学を卒業後、労働省入省。退官した 2003 年に資生堂常勤顧問として入社し、以後、取締役執行役員 CSR 部長等を経て 2009 年に副社長に就任。現在、企業文化部、宣伝制作部、ビューティークリエーション研究センターなどを担当している。
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