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社員食堂のエレベーターホールにある青木野枝のコールテン鋼による《玉響》2004 年。社員なら誰もが通るこの場所には、親しみやすい青木氏の作品がさりげなく飾られている。
「銀座のおかげで資生堂がある」という思いを込めて
銀座は日本が強力に近代化を進める中で、新首都・東京の玄関口にふさわしい洋風の街として生まれた。1872(明治5)年、新橋―横浜間に鉄道が開通した年である。
 同年 2 月に、大火に見舞われて焼け野原と化した銀座の街づくりは、“江戸名物"とも言われた火事に負けない強い街への生まれ変わりと、欧米と日本の文化が交流する窓口としての機能を象徴する洋風市街の新生という、二つの命題の下で行われた。そうして出来上がったのが、西洋文化の薫り漂う銀座煉れん瓦が 街。洋食屋、パン屋、洋服屋、ランプ屋など、新しいビジネスが次々と進出した。その一つが資生堂だ。銀座の誕生と時を同じくして、日本初の洋風調剤薬局として創業したのである。
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