



(左から)ヴァレンティノと女優、ヴィルナ・リージ(C)Angelo Frontoni /1968年−1969年秋冬コレクションの作品。Archives Valentino (C)Jean Tholance /1969年春夏コレクションのデッサン。Archives Valentino/1969年オートクチュール春夏コレクション作品。彼の《機能性をもつエレガンス》は、まず北米にて熱狂された:Archives Valentino (C)Jean Tholance
「白のコレクション」による成功
60年代になり、生涯の右腕となるジャンカルロ・ジャンメッティーとの協業体制を始動。機能的でエレガント、かつコスト安のイタリア・モードは、当時アメリカからの需要に商業的な成功を収めており、同時にローマはシネチッタの下に"ニュー・ハリウッド"として沸いていた。ヴァレンティノはエリザベス・テイラー、リタ・ヘイワース、オードリー・ヘップバーンといった国際的大女優のデザイナーとなり、64年からは、当時最もメディアに注目されていたジャクリーヌ・ケネディが、彼の作品を身に纏い始める。そして68年は、Valentino確立の記念の年となる。白色に捧げる「白のコレクション」を発表、ジャクリーヌ・ケネディは海運王オナシスとの結婚衣装をこのコレクションから選択。一躍、ヴァレンティノは新世代モードの寵児としてメディアを駆け抜け、わずか36歳で栄光の頂点に立つ。Valentinoは、独立10年を満たずして、世界的な認知を得たのだった。
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